MMT(現代貨幣理論)というものが、話題になっています。
これ、当たり前のことだと思うのですが当たり前過ぎて理解ができないという状況になっているのだと思います。
家庭内のことに置き換えてわかりやすく説明します。
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MMTの3つの主張
-全ての経済と政府は生産と消費に関する実物的な限界がある。
-政府の赤字は、誰かの黒字である。
そもそも政府がお金を発行するのに赤字というのがおかしいです。
そういうことを言うと、政府はお金を発行しておらず、国債を発行して日銀が買い取っているから借金だと言われますが、それは本質的なことではありません。
MMTの主張は家庭で理解できる
幼稚園児の子供がいる人は試しに、ダンボールでお金を作って、子供に渡して何かお願いしてみてください。
「このメダルあげるから、○○とってきて。」
と言ったら、やってくれます。
ダンボールのお金を渡すのが親で、子供が国民です。
別に子供からダンボールのお金を税金として徴収しなくても、仕事をさせることができます。
↓
自国通貨を発行する国は税収が予算の制約にならない。
「先立つものがないと何もできない」ということはないのです。
子供がこのダンボールのお金に価値を感じる限り、子供に仕事をさせることができますが、子供の労働力には限界があります。
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全ての経済と政府は生産と消費に関する実物的な限界がある。
生産と消費に余力があるのならば、お金を発行しても問題ないということです。
ただし、生産と消費の限界を超えるとインフレします。
通貨の発行に応じて、国民の生産と消費の限界が伸びればインフレしません。
そもそもデフレ脱却したいのだから、国債を発行すれば良いのです。
親がダンボールのお金を作って渡さないと、子供にダンボールのお金が渡ることはありません。
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政府の赤字は、誰かの黒字である。
親がダンボールのお金を作って渡すということが政府の赤字となります。
政府が赤字にならないと、国民が黒字になりません。
そして、政府の赤字はインフレにならない限りもんだいありません。
お金を発行しなくても、仕事をすることは可能です。
現に子供は一人でいろいろなものを工作したりして毎日過ごしています。
でも、兄弟に何か頼みたいときに、ダンボールのお金を使ってみようと考えるかもしれません。
兄弟同士ならお金が介在しなくても何かしてもらえるかもしれませんが、他人同士の場合、基本的にお金が必要です。
お金というのは血液のようなもので、ただ単にどこかにたまっているだけでは意味がないのです。
血流を増やすことて、走ることができるのです。
これがお金の本質です。
お金そのものに価値があるわけではなく、国民の生産と消費の潜在能力を担保とした実体を表現するものがお金です。
この荷物を10キロ歩いて運ぶという仕事が3000円かかるとします。
この仕事をするためには3000円必要です。
でも、たまたま同じ方向に向かって歩いている人に1000円でついでに運んでくださいと言えば、運んでもらえる可能性があります。
この荷物を10キロ歩いて運ぶと体重が2キロ減るよと言われたら0円で運ぶ人もいるかもしれません。
お金がなくても仕事してもらうことができます。
でも、たまたま歩いている人やダイエットしたい人を見つけるのはめんどうです。
お金がないと他人に仕事を頼む効率が悪いのです。
今、日本は緊縮財政です。
自分でダンボールを丸く切って「おかね」って書いたものが足りないと言って、子どもたちからおもちゃを取り上げる親みたいなものです。
のはきついですね。